主をほめたたえよ 落穂2008年10月
秋は収穫の時です。
あなたのたましいの中に、或いは生活の中に、何か収穫と思えることがあったでしょうか。また秋は物思いに沈むときでもあります。本当の自分の人生について、自分の心ということについて考えてみたことがあるでしょうか。
神様を信じて歩む生活の中には、ほんとうの恵みが実りとなって、心に豊かさが宿るものなのです。
早速、今日も聖書を開いてみましょう。
詩篇103篇2節のおことばです。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
生活のいろんな場面において、素晴らしい瞬間を度々経験することがあります。そんな時、神様を信じている私達は、「あっ、これは神様だなぁ」と感じるのです。
平凡な日常生活の中に、家族との人間関係などにおいて、幸せを感じることは、ごく自然のことと思いますが、そう度々特別に幸せだと認識することはないかも知れません。平凡な生活の中には、争いもあったり、悲しいことも起こったり、憎しみもあったりするわけですから。
しかし神を信じて生きているとするならば、決して幸せを感じることはむずかしいことではありません。信仰をもつということは、天地宇宙を造った真の神を信じるということです。神の前に自分の罪を悔い改め、神を受け入れて生活すればよいのです。そうしていると、瞬間瞬間、神が良いことをしてくださっているという感覚に捕えられるのです。この思いが多くなればなるほど、信仰の喜び、幸せを経験することができると言えるでしょう。
先にお読みした聖書は、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。」と言っています。自分のたましいに向かって、喜びなさい、神に対して感謝しなさい。神がしてくださる良いことを何一つ忘れないでいなさい、と認めさせています。
信仰生活の中で私達が経験するのは、神の御手が伸びて、いつも我らの歩みを守っていてくださるという不思議な経験です。病気の時であっても、「神様助けてください」と小さな叫びを自分の心の中から神に祈るとき、豊かななんともいえない慰めが身体のすみずみにまでみなぎってくる経験を、神を信じる者は度々するものです。
病気だけではありません。問題や悩みごとに困り果てている時、人生の旅路において、本当に行き詰まりを感じたり、不安が心を支配したりした時、「イエス様。導いてください。」という祈りをするのです。次の瞬間から何となく展望が開けてきて、大丈夫なのだという不思議な平安が心を支配するのです。そして自信をとりもどし、思い直して前進できるのです。そしてそこに道が開かれてくるということが多くの人々の経験するところであります。
あなたには神様が必要です。あなたは神を信じているとおっしゃるかも知れません。しかし、自分勝手に作りあげた神であってはいけません。天地万物を造った真の神に対する信仰でなければなりません。なぜならば、私達人類は、罪に汚れているからであります。この罪を許すことの出来る全能なる神でなければならないからであります。
神様は愛であり、私達を罪から救い出してくださるのです。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第一ヨハネ4・10)
私達は救われるためにどうすればよいのでしょう。「神様。私の罪を赦してください。これから真の神様を信じますから」という祈りを神の前にすることです。その時、あなたの問題は解決し、心に平安が与えられるのです。なぜならイエス様は聖書の中に、次のようにも言われました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11・28)イエス様の私達に対する招きのおことばです。従おうではありませんか。
私達が真の神の前に、信じますと神を受け入れるとき、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。」と神を喜ぶ者となることでしょう。
この日も神が良いことをしてくださることを信じて祈る者でありましょう。
(放送メッセージより)
