愛はへこたれない   落穂2008年9月

名古屋リバイバルチャーチ 中西幸輝牧師 

私達はたくさんのものを求めます。それはモノを求めるというよりも、そのモノを手にすることの出来る自分になりたいということです。例えば、やる気。他に平安。私達はこころ穏やかに生きたいと願っています。しかし、時に何かおこるとすぐにぐちゃぐちゃになってしまいます。

また勇気。恐れに立ち向かうためには勇気が欲しい。勇気があれば前進をしていくことができます。また自分の考えが悪魔から来ていて、神の考えではないことがわかったとき、勇気をもってそれを認めなければなりません。また、揺れ動かない強い心を求めます。 へこたれないで生きていくためは、イエス様がどのようにしてくださっているかを覚えなければなりません。

神の愛の特徴は、熱心です。どこまでいっても熱心にあがないの働きをなしてくださいます。主の熱心は、罪がないのに十字架についてくださったのです。主はいいわけをしないで、何も言わないであがなってくださいました。また、十字架にかかられたとき、弟子たちは逃げていきましたが、イエス様は復活後それを責めもしませんでした。

イエス様は、ご自身の愛を貫いて下さったお方です。主の愛はへこたれないのです。私達は愛しても、反応がよくなかったらもういやだ、愛したくない、つまりへこたれてしまうのです。神は、私達がへこたれない愛を持つために、へこたれない愛を与えてくださったのです。

私たちは、やる気、平安、勇気、強い心を求めます。しかしそれら一つ一つは症状であって、本当は根底からやる気が湧き上がってきたり、揺り動かさない信仰が湧き上がってきて、内側から生きることができればどんなにいいでしょうか。神様の愛にこの姿勢があるのです。私達が求めなければならないものは、愛そのものなのです。やる気、勇気、平安、強い心も全て、愛の中に全部含まれているのです。

問題はすべて、へこたれてしまうことにあります。私達は、やる気、勇気、平安、強い心を求めて主に祈ります。イエス様の祈りは、そういう祈りではありませんでした。ゲッセマネで、天の父の栄光を求めて祈り、全ての人が躓かないように、祈りました。愛を貫いて祈ってくださったのです。私達に必要なのは与える愛で祈ることなのです。

献身をしますという方もたくさんいますが、へこたれては何もできません。へこたれない思いは、愛そのものにあるのです。与える愛があればやる気は損なわれないのです。例えば、マザー・テレサの働きがその例です。

求めなさいそうすれば与えられます。たたきなさい・・・とありますが、原語では求め「つづけなさい」という意味です。私達は求めつづけることにすぐにへこたれてしまいます。ほんとに必要なことはへこたれないでやりつづけることです。神はその願いをかなえてくださるのです。私達がすぐへこたれる、その原因は何かというと、私達の持っている愛がイエス様のようなへこたれない愛ではないからです。

私達は良いことをしたいと思っても、誰かに中傷されるとすぐに気が萎えてしまいます。私達は弱いのですが、本当の愛、犠牲の愛、神の愛が私達を変えてくださるのです。中傷されてもやる気を失わないのです。その姿勢は全部愛のうちにあります。イエス様はあなたの敵を愛しなさいといわれました。これは私達には難しいがイエス様は十字架上で、ご自身の愛を貫いてくださいました。愛、これだけがほんとに必要です。他にはなにもないのです。

私達は、神に敵対する者です。あなたには、よいことは一つもできないのです。できないからこそイエス様は十字架で死なれ、私達は罪赦されました。これは喜びです。しかし私たちは愛そうと思っても愛することはできないので、また赦されます。これは、大変な喜びです。私達は赦されて生きるもので、ほめられて生きるということは絶対できないのです。私たちは神の愛による赦しの恵みによって、へこたれない姿勢が湧き上がるのです。

私は、来年また会う時まで皆さんが一人もへこたれないことを望みます。私は皆さんが本当に解放されることを望みます。私達は自分の思いに縛られており、断ち切るのは御言葉の剣しかないのです。悪魔は言葉の鎖で私達をしばっています。「私はできない」という思いです。敵も愛しましょう。敵のリストを作ってこの人も愛そうとすることが人生の答えです。
私達は愛しています。まず神が愛して下さったからです。
(第三聖会メッセージ要約)

 

 

日本福音宣教会は正統なプロテスタント信仰に基づく超教派のキリスト教伝道団体です。