良いもので満たされる 落穂2008年4月
詩篇107編9節を開きます。「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」
「渇いたたましい」とか、「飢えたたましい」と書いています。いったいどんなことなのでしょう。日常生活の中で、様々な困難や問題に押しつぶされそうになり、打ちひしがれている状態のことでありましょう。
主は、そうした人々に対しても、「良いもので満たされた」と言われるのです。幸いなことであります。 私達は貧しさが襲ってきても、驚くことはありません。病気がやってこようと、問題や悩みがあったとしても、落胆する必要はありません。あなたのたましいが落ち込んでしまわない限り。
心が病んだ方々がいっぱいいます。現実にその結果として、登校拒否になったり、出社できなくなったりの状態になります。そのような人たちに何が起こったと言うのでしょう。それは、心の中、つまりたましいが落ち込んでいるわけであります。
少しぐらいの病気であれば、たましいが生き生きしていたら、病気の方が早く逃げてしまうような感じです。悩みや問題でも、必ず乗り越える道があるものです。そうした現状に自らが負けてしまって押しつぶされてしまうから駄目なのです。
あなたのたましいは健全ですか。引き上げられていますか。上を見上げて歩いていらっしゃいますか。色々な人生の問題が私達に襲ってきて心をくじいてしまうことがあることは確かです。私達のような仕事を専門にしている者でも、時々スランプに落ち込むような時もあります。
しかし、神を信じる信仰に生きているので、間もなくすぐ復活できる喜びを経験しています。全く落ち込みがない人間がいるとすれば、伝説上の人間であって本物とは思われません。 悩むのは誰にもあることです。しかし、神を信じてキリストによって、私達は立ち上がれる喜びを感謝しなければならないと思っています。
さて神はあなたの、そして私の渇いたたましいを満ち足らせる。飢えたたましいを良いもので満たしてくださる。あなたのたましいは何故そのように渇き飢えるのでしょうか。それは満たしてくれる希望と喜びがないからでありましょう。
人は愛に生き、愛に失望し、そして絶望するのです。愛に生きているとき、心がうきうきします。でも、裏切られたりすると落ち込んでしまいます。それは愛の相手の良いとか悪いとかではなくて、人間だからであります。
神様の愛に生きていると、人間同士の愛で失望したり絶望したりしても、決して驚くことはありません。神の愛によって立ち上がることができるからです。 大きな損失を受けて、財産が無くなったり、経済的な負担のために落ち込んだりすることもありましょう。でも、あなたの心の中に、やる気が本当にあって、心が平安であるなら、再度がんばって日の目を見ることができます。何度も駄目になっても、立ち上がった人たちがたくさんおられることを、あなたも知っておられるでしょう。 私達のたましいを生きかえらせなければなりません。
その為には一体どうすれば良いのでしょう。心の中にいのちの光であるイエス・キリストをしっかりと持つことであります。ただ何か偶像のようなものを神仏として祭りあげて、手を合わせ、その時々にお祈りするような、対症療法的な、或いは自己満足的な信仰ではありません。
いつも変わらない、私達人類をお創りになり、愛し、救ってくださる、まことの救い主を神として信じるべきであります。
「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」(詩篇121・7〜8)
イエス・キリストこそ、そのお方であります。どんな時にも、どんなことがあっても、いつも変わらない信仰をもたなくてはなりません。 自分の心にある汚れと醜さを認めて、悔い改めてイエス・キリストにお願いすると、赦してくださるのです。そしてあなたは心に信仰をもつことができます。そしてもう心に渇きや飢えを感じることはないでしょう。もう、落ち込みがあっても大丈夫で、心配はないのです。
