赦しに富む神 落穂2008年3月
春の芽生えを感じるシーズンになりました。
私達は冬の時も過ごすのですが、人生にはやはり春が来なくてはなりません。神を信じて豊かな人生の勝利を握っていただきたいと思います。
それでは聖書を開いてみましょう。
新約聖書詩篇86篇5節を開いてみましょう。
「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。」
春に期待する私達に、何とすばらしいおことばではありませんか。
人間というものは、どんなに完全を期待しても完全が与えられることはまずありません。欠点の多い私達人間では当然のことでありましょう。しかし私達が信仰をもって求める神様というお方を見つけるとしたら、その方はやはり完全でなければならないと思います。
私達人間と同じように、何かが欠けている不完全なものを、私達は神様と呼びたくありません。人の良い立派な人のことを、私達は時々、「あの人は神様のような良い人です」と表現します。しかし決して「神様です」とは言いません。どんなに偉い人でも、人間が神様に成り得ることは決してありません。
さて、聖書が私達に教えてくださる神様とは、完全であり、いつくしみ深く、赦しに富み、呼び求めるすべての者に恵みを豊かに与えてくださる神様であります。こういう豊かな神に対する信仰を与えられるとき、信仰というものの中に、私達は完全なものを期待することができるのだとわかります。いつも多くの失望と落胆が渦巻く中で生きていますと、信仰をもっても何かの一部分的なもののように考えて、まったき完全なお方だという考えが生まれてこない場合が多いようです。
私達が信仰の対象として「神様」と呼ぶからには、その神は全きお方であり、豊かで恵みに富むお方でなければならないのです。そうでないと、私達は信頼を寄せることができません。日々の不完全なものに囲まれて生活している中で、全きお方に出合い信頼を寄せることが出来るとすれば、こんな幸いはありません。
聖書のヘブル書11章1節に次のように記されています。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
何と平安を得られる言葉でしょう。信仰もって、望んでいることが神の力によって完全に、そのように実現していただけるのだと信じることができるだけでも嬉しいではありませんか。
自分の人生に夢をもっていて、その夢を実現する保証をどこにあなたは見つけますか。それは単なる夢物語に終わることが多いではないでしょうか。
しかしあなたが、本当に天地宇宙を造った全能の神に対して信仰をお持ちになるならば、あなたの夢は実現しますと、私は申し上げることに何の躊躇も感じておりません。いやむしろそのためにこそ神を信じるのです。
さて、人間同志であっても、お互いに気まずい存在であるならば、お互いに自分の要求をし合えないものです。気まずくなる何かがあれば、それは許しを乞って許された平安がなければなりません。
神様に対しても同様です。良く考えてみれば私達は誰一人として罪人でない人はいません。その罪は人に分からなくても神様をごまかすことはできません。私達はまず、全能の神様の前に、自分の罪の許しを乞う必要があるのです。
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(第一ヨハネ1・9)神様の前にまず自分が罪人であることを認め、赦しを乞うならば、神は赦してくださいます。神様は私達がそのようにすることを待っておられます。
そして私達が神様を信じて生きる者になるときに、神がお与えくださる豊かな祝福は、信仰を持たない人には経験できないでしょう。
信仰をもって、あなたの中にある願いが、正しい神の力によって導かれることを求めてみようではありませんか。イエス・キリストをあなたの救い主として受け入れましょう。 (放送メッセージより)
