何をしても栄える 落穂2008年2月
今日もはじめに聖書を開いておきましょう。詩篇1篇1〜3節。
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」
人生を祝福の中に歩めるように、神様が私達に約束してくださった素晴らしい御言葉です。 しかしながら、人間には自由意志が与えられているので、多くの人は神の道から逸れて勝手な生活をし、結局破滅を自分の身に招くということになったりします。
さて、「何をしても栄える」人生とは、一体どうしたら得られるのでしょうか。聖書ははっきりと教えています。「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。」そして、「神のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。」と書いてあります。
悪い道とは、いろいろあると思います。自分の心に照らして、まずいな、良くないな、やめておく方がいい、と思うような事を心に感じながら止めないで良くない生活を続けてゆく。やめておいたほうがいいなと思う事があったら、さっとそのような事から離れるべきです。 私達は自分自身の歩む道に気をつけて、できるだけ自分を守るようにしないといけません。
お金を借りて、自分の欲望にまかせて遊ぶ費用に使い、その借金地獄から抜け出せなくなった人がたくさんいます。目標や計画性のない人生を持っていると、落し穴に落ちてしまいます。世の中には落し穴がたくさんあるからです。ですから、そういう道に歩まないで、堅実な歩みをすべく計画をしなければなりません。
そのためには私達は、神の教えに歩むことです。いつも神の教えを口ずさむというのは、その教えが身につくという意味でもありましょう。いつも口に出てくる歌のように身について、そういう生活を喜んでいたら、あなたは何をしても栄えるのだと聖書は約束してくれているのです。
「何をしても」と言うのですから、嬉しいではありませんか。勉強しても商売しても、自分のいろいろな計画を立てても、すべては栄えるように出来るという約束を神から与えられていることを感謝しなければならないと思います。 信仰をもつということが祝福につながるということを、あまり考えない人が多いかも知れません。信仰とは、困った時の神頼みで、困ったら神様に登場してもらおうと横着な事を考えたがるものです。
でもそういう横着な、間に合わせの人生を送るようなことをしていると、やがて間に合わない時がくると思うのです。聖書を読んで、御言葉に照らし出されて自分の内面を考えてみませんか。あるいは聖書を読んで、そのおことばを座右の銘にして、自分の一日一日を堅実に組み立てて行こうと考えることは、大変大切なことではありませんか。
あなたはあなたであって、あなた自身に代わるべき者は、この世界のどこにも見つけることはできないのです。神様はそのように私達を特徴ある素晴らしいものとしてお創りになったのです。そう考えますと、私達は、神にある生活を本当に喜ばなければならないと思うのです。
あなたを、そして、私をお創りになった神は、それぞれの人の人生に、大きな期待をしてくださっているのです。無気力で、ただぼーっとした生活で日を過ごすことは勿体無いではありませんか。 今年に対して、あなたはどんな計画をお持ちですか。もう一度点検をしてみてください。そしてあなたの生活の中に、「神様」というお方が抜けているなら、是非入れてみてください。
朝起きて、「神様、今日一日を守ってください。」と、イエス様の御名によってお祈りし、夜は一日を感謝して休む。こんな生活、なんと平安な生活でしょう。私達が、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れるとき、神様はあなたの内にそういう生活を与えてくださいます。 平安に満ちた、祝福された日々の生活を導かれましょう。 (放送メッセージより)
