賛美されるべきお方 落穂2007年11月
まず最初に今日の聖書を開いておきましょう。旧約聖書詩篇145篇3節です。
「主は大いなる方。大いに賛美されるべきお方。その偉大さを測り知ることができません。」
私達の日常生活の中で、失望落胆するようなことが時には起こったりすることがあります。本当に良かったと言えるようなことは少ないかと思います。どちらにしても、生活の中で心からびっくりするような出来事というものは、あまりないものです。
さて、神様がどういうお方かということについて、聖書は、大いなるお方であって、賛美されるべきお方であり、偉大さを測り知ることができないほどであると書いてあります。
信仰とは神様を信じることでありますが、信仰に対して多くの方々はなかなか関心を持とうとはしません。その理由は、神というお方がどれほど偉大なお方であるかということを知らないの一言に尽きるのだと思うのです。
日本人は、いわゆる多神教で、いろいろな神様と称すものが私達の廻りを取り巻いているわけです。しかも、それは決定的な影響を私達の人生に及ぼす形で現れているわけではないのです。ですから、私達は神様というと、私達の方がお世話しなければならないというような感覚を持ち合わせているのではないでしょうか。
聖書に啓示されている神様は、天地万物の創造主、この宇宙にお一人しかおられない神様のことであります。
空を眺め、太陽や月や星を見、美しい花や草木を眺め、それだけでも私達は、自然界の営みの偉大さを感じないわけにはゆきません。それら全てを創造された方を、私達は神と呼ぶとしたら、その偉大さは到底測り知るところではありません。その神様のお力が私達の生活の中に影響を与えてくれるということになると、これは大変なことだとお考えになりませんか。
最近多くの親たちが経験していることですが、自分が生んで育てた子供たちが、親の言う通りにならない淋しさを感じているとよく聞かされます。自分が生み、手塩に掛けて世話をして育てた者でさえも、自分の思い通りにはなってくれません。つまり私達は、自分の無力さを感じるのです。それほどひとりの人の心を変えるということは非常に困難なことだと、いろんなケースを通して私達は知らされています。
そこで、イエス・キリストを信じる信仰の中で、私達一人一人に深く関係あるもので、最も強く示され強調されていることは何かと考えてみます。それは心が作り変えられること、つまり生まれ変わりということであります。なぜなら、人は神の前に悔い改めて、イエス・キリストを信じなさい、そうしたら救われると、聖書は語っているからです。
しかし、この生まれ変わりということ、こんなことが果たして可能なのでしょうか。私達はそういうことに神の偉大な働きと素晴らしさを認めないわけにはいかないのです。今までの生活の中において、絶望と落胆のどん底にあったとしても、イエス・キリストを信じたその時から人は全く造り変えられるのだと、聖書は言うのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5・17)
人生の価値観が全く変わってしまうのです。そういう驚くべき事実を私達が経験してくる時に、私達は神様のお力以外に何もないことを認めて、感激せずにはいられないのです。
まずあなたが、まことの神の御前に、イエス・キリストを通して信仰を持つことを告白し、自らの今日までの不信仰な自己中心的な生活を、神に対して悔い改めるときに、あなた自身の中に起こってくる偉大な変化に驚かれるでしょう。
自分を変えたもの、それはイエス・キリストの救い以外にないと知ったときに、「その偉大さを測り知ることができません。」と言えるほどの、神の力を経験することができるのです。
あなたもイエス・キリストを信じて、この驚くべき神の恵みを経験してください。
(放送メッセージより)
