良い羊飼い 落穂2007年8月

万代恒雄牧師
   

はじめに聖書を開きます。
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10・10〜11)

イエス・キリストがご自分を羊飼いとして示されました。つまり、私達は羊であるということであります。羊である私達ために、良い羊飼いはいのちを捨てるのです。イエス様は、「わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。」(15節)と言われました。

キリスト教の最も素晴らしいことは、イエス・キリストが十字架にかかって、私達の罪の身代わりとなって死んでくださった。つまり私達が受けるべき当然の罪の処罰をキリストご自身が、ご自分の身に受けてくださったということにあります。私達が罪人であった時に、神はイエス・キリストを死に渡されるということによって、私達に対する愛を現わされたのであると、聖書は語っています。

愛を現わすと行っても色々あります。告白するのもそうですし、贈物をするのも愛の現われでしょう。しかし、必要ならば相手のために死ぬことが出来るとしたら、それ以上の愛の表現はないでしょう。聖書にもあります。

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15・13)イエス・キリストはそれをなしてくださいました。

現代は、ほんとに自己中心的な時代で、自分さえよければという考えが横行しています。自分が楽できるように、自分が幸せになりたい。自分のことでいっぱいで、とても人のお世話までできないというのが現状でしょう。

人間が神様に対して抱いている心の状態は、反逆そのものであると思います。神を信じるということに対して抵抗を感じているようです。自分が正しいと思えたらそれで良いのであって、教会などに行き、「おまえは罪人だ」などと言われなくても自分のことは自分で処理をするという考えが非常に強いのです。

こうした救われ難い私達の為に、キリストが身代わりになって十字架にかかって死んでくださった、と聖書は宣言します。あまりにも常識を離れた行為のゆえに、私達はキリストの素晴らしさを理解しきれないのです。しかし、私達人間には出来ないからと言って、神がそんなことをして下さるはずがないと考えるのは間違いです。

イエス・キリストが私達の罪のために身代わりになって死んでくださった。良い羊飼いは羊の為にいのちを捨ててくださった。このことを思う時に、私達はこの神にお従いすることによって、本当に小さな自己中心の醜い自分が変えられてゆく姿をみることができるのです。

自分自身の愛に行き詰まり、自分の生活に行き詰まりを感じ、自分の能力に限界を感じているあなたが、もし神様の前にへりくだって、救いを求めるならば、罪人の為にいのちを捨てて身代わりになってくださったという驚くべきことを成し遂げてくださった神は、あなたの不可能を可能にしてくださるのです。

人からの冷ややかな取り扱いに孤独の中にあったとしても、あなたのために命まで捨てて身代わりとなってくださった神様の愛が、あなたを救ってくださり、心に喜びを満たしてくださるのです。

私達は罪人です。その罪の支払うべき代価をキリストが代わって払ってくださったのです。それを私達が信じさえすればよいのです。このところにキリスト信仰の素晴らしさがあるということができます。

今率直に、自分の弱さと限界とを認めて、自分のように醜い、こんな者の為にイエス・キリストが身代わりになって、罪を背負って死んでくださった。信じることで私達の心の中には赦しが与えられるという喜びを経験しようではありませんか。

赦され難い者が赦されたという、この素晴らしい経験こそ、私達の人生において新しく生きる力となるのです。

(放送メッセージより)

日本福音宣教会は正統なプロテスタント信仰に基づく超教派のキリスト教伝道団体です。