主よ、急いでください 落穂2007年5月

万代恒雄牧師
   

まず、詩篇141篇1節を開きます。 「主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください。私があなたに呼ばわるとき、私の声を聞いてください。」

急いでくださいとは、ずい分神様を急がしているお祈りですね。 私は聖書をずっと読んでいて思うことがあります。特にこの詩篇で感じるのは、神様と親しくものが言える人達がいるのだなあということです。信仰については、そうあるべきかも知れません。

日本人にとっては、神様というと何か私達との間に大きな間というか隔たりがあって、近寄り難いというような意識をもっているようです。しかし、詩篇に出てくる人々がまるで友達を呼ぶように神様を呼んでいます。これは素晴らしいと思います。

人間というのは人間の心の中にあるものを全部ぶつけて、甘えてゆくところがどうしても欲しいのです。欲しいと言うより必要と言うべきでしょう。ところが、そういう場所が無いと言うのが現実です。

「あなたを呼び求めます。急いでください。」というようなことばば、実に素晴らしい祈りだと私は考えています。あなたもそんな祈りをしてみたいと思いませんか。何か急な危険が身に迫った時に、「神様!」と思わず言ってしまうことは誰でも経験することです。しかし、その時に本当に神様を知って言っているのか、それとも、ひとつの癖として言っているか、大変な違いがあると思いませんか。

子供が都会の大学に行っていたとします。「あれ送れ」とだけ言ってきたら、それだけでびっくりしてお金を送るということがあります。理由を聞くのを後回しにして、急な事なのだと思って、とにかく送るということがあるわけです。神様にも電報を打つような、急いで呼び出すような祈りがあっても不思議ではありません。そんな祈りができるということの喜びを感謝したいと私は考えています。

「困った時の神頼み」ということがありますが、それはちょっと意味が違います。もしどうしようもなく仕方なく、とにかく困り果てて他に方法がなくて神様と呼んだということでしょう。そのように困った時の神頼みではなく、急いで来てくださいという中には、いわゆる神様との親しさが現れていると思うのです。

小さな子供が、「ママ、早く来て、早く早く。」という時があります。何もそれは危険が切迫しているというのではなくても、ただ早くお母さんに来て欲しい、という甘えの親しさの現れです。お母さんも思わず子供の所に飛んで行くことでしょう。

あなたもいろいろな問題をお持ちだろうと思います。その問題や悩みごとに対して、どういう姿勢で神様に近づくことができるでしょうか。これは大きな問題だと私は考えています。困った時の神頼み的に、仕方ないから何様でもいい助けてと、このようなお祈りをする人は案外多いのです。

本当に親しい意味を込めて「早く来てください」と言える人は本当に少ないということを私は知っています。あなたにはそうなって欲しいのです。聖書のみことばに次のように記されています。「わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(第二コリント6・18)

神は私達を息子、娘、と呼んで下さるとするならば、私達は思い切り親しく近づいてゆくことができるのです。神の子供とされるために私達は何をすればよいのでしょうか。それも聖書に記されています。

「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」(ガラテヤ3・26)神の子供とされるためには、イエス・キリストを私達の救い主と信じることなのです。

私達は、有名人と知り合い親しくなると、皆にそれを知らせたくなります。神様と親しくなったら、誰にでも言いたくなることも本当でしょう。あなたの心の中に神様とそんな親しさがあるならば、今あなたがどんな悩みの中にあり、問題を抱えていても絶対に解決するだろうと、私は信じて疑いません。

「主よ。・・・・・・私のところに急いでください。」と呼ぶことができるからです。 神様を困った時の助けとしてではなくて、本当に近いお方として意識したことによって、つまり神への信仰をもって、神の恵みをいただきましょう。

(放送メッセージより)

 

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