真の信仰 落穂2007年4月
春、何となく心がうきうきするものがありますが、それでも、そういう気候に逆らうように、心の中には重く暗い気持ちをもっていらっしゃる方もおられることでしょう。でもこの日、神のおことばによって強められて、いっさいの憂鬱な思いから解放されて欲しいと願っています。
聖書は詩篇139篇14節をお読みいたします。「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」
奇しいことをなさる神様ということが書かれています。人間は誰でも心の中に、何か素晴らしいことが起こらないかなあというような期待をもっていると思います。それは年齢に関係ないようです。現実の自分の生活を見つめていると、とても奇しいこと、つまり奇蹟的な事が起こるはずがないということで、諦めていることもまた事実でありましょう。
しかし、夢あるいは幻、そんなものが私達の生活の中に無かったら、きっと生き甲斐はなくなってしまうのではないかと、私は思います。聖書にも、「年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」(ヨエル2・28)と書いてあります。本当に私達の中に期待感が無くなってしまったら、人間は生きる望みがもてなくなります。
不思議なことに、天地宇宙を造られたまことの神に信仰を持ちますと、あなたの心の中に、神への驚くべき創造の力、霊が働きはじめます。そうすると、自分は駄目だ、不可能だと思っているあなたの生活の中に、詩篇の作者が読んでいるように、「あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」と、このような気持ちが、あなたの中に経験できるはずです。
信仰というものを、私達は理性の範囲の中で捕らえて、自分の感情のおもむくままに左右してしまう傾向を、日本人はもっているように思えます。だから、自分のご都合に合わせて信仰を持つ。こんなところがあるのではないでしょうか。悩み問題で困り果てている故に、神様を信じて頼ろう。自分は今困ったことがない、故に神や信仰は必要でない。こんな感覚が私達日本人のもつ信仰に対する感じではないでしょうか。
でも真の信仰は、そのような感情や私達の理性とは全然別の世界です。いうならば、四次元の世界であります。ですから神を信じる時に、神の驚くべき恵みが私達のうちに現れてくるというこの事実は、私達が感じるからとか、理解できるからということを遥かに超えた世界のことです。
人間が賢さを誇り、社会的地位や財産を誇って高ぶった人間が、素直な心で神の御前にへり下ることです。“神様、あなたが全能であり、宇宙の支配者であられるならば、私のたましいは、あなたの前に全く降伏いたします。”と。こういう単純な気持ちで、イエス・キリストを通して、まことの神に対する信仰を私達が告白するとき、救いがおこるのです。これが聖書で言う生まれ変わりということです。
「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3・3)と、イエス様はおっしゃいました。信仰は頭で理解することではなく、信じることの中に意味があるし、ほんとの救いへの道なのであります。理解出来たり、納得したりでは信じることではないのです。
信仰が何故必要であるかということについては理解や納得をするべきではあります。人間は神に許されなければならない程、根本的に罪人であることなど、自分で納得しなければならないのです。そして神に対しては、無条件に信じて、従うことが救われることへの道であります。 頭で理解できない不思議な信仰の世界、神の国。これは実はあなたの中に、あなたが信仰をもったとき与えられるものです。詩篇の作者の告白が、あなたのものになって、信仰を持ったことを、本当に喜ぶようになることができるのです。
今月はイースターと言って、キリストが十字架の死から三日目によみがえったことを記念している日があります。そんなことを覚えて、私達は大変喜びで満たされています。 あなたもイエス・キリストを通して、あなたの人生に驚きを経験されることをお勧めします。 (放送メッセージより)
