喜びと平安を見いだす人生 落穂2007年2月

万代恒雄牧師

この世の中に私達が生活していく上で、お金の力を疑う人はいないでしょう。だからみんなお金が欲しいと思っているし、そのために働いているような人もいるわけであります。それがすべてであると考えている人もいるのです。お金さえ持っていれば、どんな事でも出来ると思っている人もいます。

さて、信仰という事を考えたことがありますか。この信仰の力をあなたがほんとうにいただくと、間違いなくあなたの人生は変わります。 では聖書を開いてみましょう。新約聖書、ルカの福音書19章4〜9節を読んでください。「それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。」(4節)

これはザアカイという人のお話です。当時の税務所の所長のような仕事をしていたザアカイという、大変お金儲けに巧みな、いわばずる賢い世渡りの上手い人がいました。その人が、イエス・キリストが来られると聞いたとき、非常に興味を持ちました。ところが不幸にして彼は大変背が低いために、見ようとするけれど前に立ちはだかる人の群れが邪魔になって、イエスを見ることが出来ません。そこで彼は前の方にあらかじめ走って行って、道路脇にある一本の木に登ってイエス・キリストが来るのを見ていたのです。

丁度イエスがその場所をとおりかかられた時、声をかけられ、彼を呼び止められたのです。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」(5節)と声をかけられ、彼の家の客となるのです。 その食卓において、彼は今まで自分はお金の奴隷であったことに気づき、本当に悔い改めを致します。自分の財を投げ出し、イエスを信じる者となり、文字通り、彼、ザアカイは救われるのです。

イエスを見るために前方に出て、いちじく桑の木に登ったというこの物語りは、私達に多くのことを教えます。 ザアカイは一体どうしたというのでしょうか。これまではお金儲けに利口で、人一倍うまくやっていた彼が、どうしてイエスを見に走ったのだろうかと、誰もがきっと思うことでありましょう。

何故お金に夢中になっていた彼が突然そのような行動に出たのでしょう。いわばお金を儲ける為にはどちらにでも走っていた男が、信仰の為に走ったというわけです。それはまことに突然であったように見えるのですが、彼の心の中では、お金はいっぱい持ってはいても、人生の空しさ、淋しさを感じ続けていたのでしょう。神を信じることが人生の条件であり、もう自分にはそれ以外に本当の満足はないのだと、ザアカイは悟ったからであります。

お金に夢中のように見えていた彼が、どうして突然そうなったかは私達にはわからない事ですが、お金を沢山持っていた彼の心は、決して満たされた幸せなものではなかったことは事実です。とにかく彼の心の中に一大変化が起こりはじめていたことだけは確かでしょう。

私達はこのことに注目しなければなりません。それは彼を知っていた人たちから見れば、全く不合理なことでありました。 しかし、人生はお金以外にないと言い切っている人達の心の中に、お金を沢山握りながら、表現できない寂しさが心の中に漂う経験をしたことがないと言い切ることができるでしょうか。お金だけ、権力があればよい、教育だけ、等々言っている人達の中に、寂しさはないでしょうか。

イエス様を信じる信仰の中に、不思議な喜びと平安があることを知ったザアカイは、自分の財産の半分は貧しい人達に施しますし、悪いことをしてお金を得た人には4倍にして返しますと告白しました。 あなたも神にある平安を得たいと思いませんか。

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14・27)とイエス様は聖書におっしゃっています。ザアカイのように真の喜びと平安を見出せる人は幸いです。 あなたもイエス・キリストを信じる信仰へ走ってみてください。 (放送メッセージより)

 

日本福音宣教会は正統なプロテスタント信仰に基づく超教派のキリスト教伝道団体です。