朝ごとの祈り 落穂2007年1月
新年おめでとうございます。この新しい年が神に恵まれた素晴らしい年でありますようにと願います。 最初に聖書の御言葉を開きます。旧約聖書イザヤ33章2節です。 「主よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに、私たちの腕となり、苦難の時の私たちの救いとなってください。」
これは朝のお祈りの文句でありましょう。主に、自分達をあわれんでください、私たちは主を待ち望みますと、神によびかけています。いにしえから神を信じる者達は、自分達の願いや幸せを神に祈り続けてきました。この聖書の祈りも、神を仰ぎ、神ご自身が自分の腕となってくださり、そして苦難の時の助けとなってくださるようにと、非常に大胆に願っているわけであります。
私達クリスチャンは、イエス・キリストを神として信じているわけでありますが、私達がそのようにイエス・キリストに対する信仰を持ちさえすれば、このような大胆な祈りが毎日できるということを感謝してください。
新しい年になると誰しもそうですが、日記帳の一冊でも買って、日記をつけてみるでしょう。長くて一週間くらいすれば、毎日が隔日になり、二日空いたり、次第に消えてゆく場合が多いのです。大部分の人がやめてしまうのではないでしょうか。
新年になった当初は、新鮮な何か新しい気持ちがあるわけです。特にお正月の朝は目覚めると、去年とは違う何か素晴らしい一日が始まるという感じがするわけです。今年こそは自分にとって進歩の年であるべく願いと期待を心の中で感じています。
お正月、それはまるで昨年の怠慢や失敗がすべて許されたような気持ちになっているのかも知れません。そうした感動的な思いがしばらくは続くかも知れませんが、やがてそれは消えてしまって、はっと気がついた頃には何も去年と変わっていない生活をしている自分に気がつくことでしょう。
私は、決してそうあってはならないと思っています。一日に例えるならば、朝のうちは素晴らしく調子が良いかも知れませんが、昼からは急に曇って雨が降ることもありましょう。夜になれば嵐模様になるかも知れません。
そうです。人生も同様であります。人生というものは、一日も私たちが心を緩めてよい日はないのです。だからこそ、神にあって確信をもって祈り、「主よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。」と祈り、「朝ごとに私たちの腕となり、苦難の時の私たちの救いとなってください。」と、朝毎に祈るのです。それが一日を支えてくれます。そんな日が、三六五日続けば、この一年は勝利の一年であったと言えるでしょう。
神により守られるという確信は、私達をすべての悩みから解放し、すべてのエネルギーを人生のなすべきことに使うことが出来るのです。 信仰というのは、何も特別な気持ちで持つものではありません。ただ、何を神として仰ぎ信じるかということが問題であるだけです。それは、私達のためにひとり子イエス・キリストをくださった、まことの神様を信じるべきであります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3・16)何かに頼りたいとの願いをもっている私達人間は、とんでもないものを信じて拝んでいるという状況があるのですが、それは大変残念なことです。宇宙を創り支配し、人類をも創ってくださった方を神とし、信じるべきであります。
人間が作ったものは、どんなに一生懸命信じても、そこには何の能力もありません。 あなたはこの一年を、イエス・キリストにあって神に守られて、神様が自分の腕となってくださるという意識を持って過ごしたいと思いませんか。特別な大きなことを考えなくてよいのです。 神の前に心をへりくだらせて、心の内をきよめていただいて、素直な気持ちで、「神様この日をあなたの手にお任せします。イエス様、助けてください。」と、こんな祈りから一日が始まるとすれば、あなたの一年は勝利であることは間違いありません。
一日一日の積み重ねが大勝利に結びつくのです。 イエス・キリストを信じて過ごす一年でありますように。 (放送メッセージより)
