変わらないお方 落穂2006年11月

万代恒雄牧師
   

最初に聖書を開きます。旧約聖書詩篇102篇24〜27節です。  

「私は申しました。わが神よ。私の日の半ばに私を取り去らないでください。あなたの年は代々に至ります。 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」

私達の神様は変わることがありません。どんな時にも変わることがないということは、私達は当てにして頼れるではありませんか。 私達は、家庭生活や学校、職場、色々の交わりの中でお付き合いがあります。

お互い同志のお付き合いの中で、一番嫌なことは何だと思いますか。それは相手の心が変わるということです。夫婦間、親子、親しい友人同士であっても、親しければ親しいほど、相手の心変わりを感じた時ほど惨めなことはありません。

そうあってはいけないのですが、実際には、そういうことがよくあるのです。それ故に失恋もあるし、離婚もおこるのだし、勘当することもされることもあります。友達との別れもあるというわけであります。変わるということは嫌な事です。相手からみると自分も変わる主体になっていることもあるのです。

しかし、神様は変わらないのであります。これが聖書の言わんとしているところであります。地とその上にある全てのものは変わる宿命も持っているのではないかと思います。前記の聖句のように、着物が古びてボロボロになって滅びてしまうみたいに、私達の回りのものは、私達自身を含めて変わりやすいし、やがては滅びるものなのです。

今日喜んで嬉しそうな顔をしている人が、一週間後には突然何かが起こり、不幸のどん底にいるような顔をしている始末もあるのです。変わらないと解かるもの、信じれるものがあれば、本当に心配しないわけです。

立派な会社に就職して、絶対この会社は大丈夫と分かっていれば安心ですが、会社だってつぶれる事もあるし、景気も良くも悪くもいつ変わるかわかりません。そうすると、不安なものです。人間の心も同様であります。一体どうしたらよいのでしょう。

実は私達が、変わるところのものに、ひとつの安心を求めようとするところに過ちがあるのではないでしょうか。聖書にあるお話があります。威張っていた人達が、突然の異常事態に、困り慌てふためいて、「救われるために、何をしなければなりませんか」と尋ねたとき、パウロという人は申しました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16・31)

何故救われるでしょう。それはイエス様が救い主であり、絶対に変わらないお方であるからです。 あなたがどんなに変わっても、神様の側が変わりなさいませんから、私達は安心していることができるわけであります。あなたは、そんな拠り所をお持ちでしょうか。

船が嵐の時に錨をおろして流されないようにします。でも下が砂地のような所だったら、船は引きずられてしまうではありませんか。がっちりと錨を食い込ませておけば、少々海が荒れても流されることはないのであります。

あなたはそのような変わらない相手を人生においてお持ちですか。変わらないお方。それはあなたを愛してあなたのために命を捨てるまでして、救いの道を開いてくださったイエス・キリスト、このお方以外にないのであります。

神の子イエス・キリストを信じる信仰をもったとき、あなたは人生において不動のものをつかんだと言えるわけです。誰に見捨てられても、この方に見捨てられることはないという大きな確信が与えられるからであります。素晴らしいことです。

このお方に自分の心を寄せておりますと、安心でたまりません。何の心配もなく、堂々と生きることが出来、どんな人生の計画を立てましても、イエス様が、見ていてくださるし導いてくださる、守ってくださるという安心感が、自分を包んでくれるので幸せであります。あなたもそうなってください。 (放送メッセージより)

 

日本福音宣教会は正統なプロテスタント信仰に基づく超教派のキリスト教伝道団体です。