神の近くにいること 落穂2006年9月

万代恒雄牧師
   

今日もまず聖書を開きましょう。  詩篇73篇28節です。  「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」  

神の近くにいる幸せということですが、本当に力強い頼り甲斐のある人と共にいると安心なわけです。これは誰でも経験することです。私達にとっては、人間よりも神様を最高に力ある方と信じますから、真の神様の側にいるのが幸せということです。幼い子供が親と一緒に居て安心しているように、神様が共に居てくれるという感覚をもつことが出来れば、それは安心でいられるでしょう。

それでは神の近くに居るというのはどういうことでしょうか。自分の心の中に神を受け入れ、信じるということが第一であります。そして次に神様中心に回る生活をすること、これが二つ目です。そして三つ目には、神に呼びかけてゆく生活をするということです。こうした時に、神が近くにおられるということを、はっきりと認識することができます。

第一の、心に神を受け入れることについてはどうすればよいでしょう。「聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(ヘブル12・14)と書かれています。今までの自分勝手な我がままな生活、嘘と妬み、憎しみ、高慢、その他、ありとあらゆる罪が練り込まれた汚い心。誰もがもっているではありませんか。許されたいし、清められたいとの思いも自分の中にもっているのです。

聖書は救われて許される道を示してくださいます。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ10・13)悔い改めてイエス・キリストを信じなさい、そうしたらあなたは救われるという神様のお約束であります。

あなたの心の中にイエス・キリストがお入りになってくださいます。 神様を信じて心の中に受け入れる決心をしたら、今までの自分中心だった生活が、神様中心の生活をするようになるのです。生活の中で、自分の心の中に、神様を喜ばせたいし、神様に喜んでもらいたいことを自分が願うようになるのです。

教会に行く、聖書を読む、お祈りをする、神様ならどうおっしゃるだろうかと考えてみる。こういうふうに、神様を先頭に立てて生活することです。 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6・33)と聖書にもあります。

生活の中の各所に、感謝が湧いてくるのです。仕事から、或いは学校から帰り、食事をするにしても、お腹が空いたからと、すぐに食卓に着くや食べていた人が、一言の感謝をしていただくようになります。これは神様第一になった証拠でありましょう。朝起きたときも、まず一言、感謝の祈りをしてから一日がはじまるのです。これは神様第一になっています。

何でも問題があったり、嫌なことがあったりすると廻りの人達、つまり家族や友人知人におしゃべりしていたあなたは、その問題を神様に祈って訴えることになるのです。 「神様、私にはこんな問題があります。助けてください。……。」とお祈りをするのです。というように生活のあらゆる場面で祈りがなされるようになります

。また実際に、私達の人生では、人間ではどうしようもなく力不足を感じるような問題に出合うことが多くあります。家族の中でも、或いは社会に於いての人間関係でもそうですし、或いは経済や体調の問題で、ほんとに神に助けられたいことがおこるのです。日頃から神様を側に感じる生活をすることが必要であります。

神を近くに感じ、神を避け所としていると、生活の中に変化が起こることをあなたはやがて自覚することでしょう。神は生きておられることがわかるのです。 イエス・キリストを信じることにより、許され清められ、神が近くにいるしあわせを味わってください。 (放送メッセージより)

 

日本福音宣教会は正統なプロテスタント信仰に基づく超教派のキリスト教伝道団体です。