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根がある人生←タイトルをクリックすると音声を聴くことができます。(mp3) イエス・キリストの聖名によりごあいさつ申し上げます。 ごきげんいかがですか。 毎日が飛ぶようにすぎてしまうっていう風に私は感じますが、あなたはいかがでしょうか。10年、20年などというと長い時のように思いますが、過ぎ去ってみるとずいぶん早いものです。特にいろいろ仕事を持って意欲的に忙しく働いている方ほど、やはり時間が早く過ぎ去ると感じていらっしゃるのではないでしょうか。 まあ、この私たちの人生も、そういつまでも長いわけではなくて、これは、終わってみればあっけないものではなかろうかと思いますが、特に、この短い人生の中で、私たちはいろいろなことを経験するわけです。ですから、神様の前に信仰を持って、我らの人生が勝利であるために、忠実に、確実に日々を生きていいかなくちゃいけないと、こう思うのです。 聖書のお言葉をちょっとお読みしましょう。新約聖書マルコによる福音書4章17節に、 根がないので、しばらく続くだけである。 こういう言葉が出てきますが、これは、ある人が種まきに出て行った、種は良き地にも落ちましたし、道端にも落ちました。ある種は岩の上の土が薄くもられたところに落ちたのです。土が薄いですから、すぐに芽がでます。ところが種が根をおろそうとしはじめると、実はその下にひじょうに固い岩があったため、根が下に入りきれないで成長することができなかった。だから、しばらくしたら、その根は枯れてしまったというのです。 これはある人たちの人生を意味していると思いますが、この短い人生で、表ばかり飾って、いい格好ばかりして、そして虚栄心に生きている人たちが多いのですが、それは根がないのでしばらく続くだけであると申し上げなければならないと思います。 本当の良き成長、それは上に伸びるだけではだめなので、下にも伸びなければならない、上と下との平均がとれた成長こそ、木でいえばりっぱな木になるわけです。上ばかり伸びるけれども根が張らなければ枯れるでしょう。根ばかりが生えて上に出ないというのもおかしなものです。両方でなければなりません。 だから、たいへんご立派な人生を送っていらっしゃる方ばかりだと思いますけれど、それに対して、あなたはどんな根を持っているか、わたしはあなたに問うてみたいと思うのです。お金はあるかもしれない、教育も受けたかもしれない、ばたばたと忙しくしているかもしれない、立派なマイホームを建てたかも知れない。しかし、ただそれだけの事であったならば、あなたは人生に何の意義を見出すことができるでしょうか。 表面はきれいに飾っていても根がない人生、それは本当の喜びも感謝もあふれてこないのです。ですから、根のある人生を持ちたい。根とは何でしょうか。それは人間の心の問題であり、霊的な問題であり、非常に深いところの問題です。 誰かが一人の人を愛したとします。それは愛というものを美しい花束をプレゼントして飾ることもできるし、また誕生日だ、何の記念日だと言って素晴らしい贈りものをして、自分たちの愛をきれいに美しくほめたたえることはできます。けれど、それよりもっと大事なものは何かというと、その愛し合っている者同士の心ではないかと思うのです。その心に本当の愛が育っていないならば、表面的に出てくるプレゼントや花束は意味がないではありませんか。そんなものは、根がないのでしいばらく続いてなくなってしまいます。だから、私たちは単に愛情問題ではないろんな問題があるわけですが、そのすべてにおいて根のないものはだめなのです。 私たちが神を信じ、信仰を持ってキリストにお従いするというのは、つまり自分の根を深く地面におろすということです。あなたが神様の御手によって、深くゝ自分の根をおろして信仰を持つならば、表に現れてくるところのものは、皆、素晴らしく恵まれ祝福されてしまいます。すぐ成長するけれど、すぐ枯れてしまうような信仰はもたないほうがよいのです。実に一刻一刻、深く根をおろす信仰こそあなたの人生を豊かにするのです。だから、クリスチャンは日曜日ごと、傍から見れば、よくも続くなあと思いますけれども、忠実に教会に行きますし、また、祈りにでかけますし、毎日聖書を読みますし、お祈りします。すべて人生の諸問題は信仰によって解決して行こうとするのです。それは、いわば根をおろしているわけです。 現代は繁栄した時代でありますけれども、皆、上ばかり、急成長をすることばかり求めて根がないので、今慌てているのではございませんか。日本の経済界も政治界もそんな匂いがします。 でも、私たちひとりひとりの心はしっかり信仰に根をおろして、キリストを信じて、そして人生を豊かにしていく者でなければなりません。根がないのでしばらく続くだけである・・・こんな人生を送らないように、神を信じて恵まれた人生に入りましょう。 |