▲「お話を聴く」のページに戻る

重荷を主にゆだねて←タイトルをクリックすると音声を聴くことができます。(mp3)

イエス・キリストの聖名によりごあいさつ申し上げます。

ごきげんいかがですか。

自分で悩みをもって悶々としていらっしゃる方がいらしゃるでしょう。あるいは、病気のために解決の道がなくて、暗い思いで病院の白い天井を眺めてい る人もいるでしょう。または、小は家庭から大は社会の問題にいたるまでいろんなことで心痛めて苦しんでいらっしゃる方もいるでしょう。

一度、イエス・キリストにある信仰によって、神に祈るということによってどんな解決が与えられるか経験してみたいとお考えになりませんか。私は心からそれをあなたにお勧めしたいと思っています。

では、聖書の尊いお言葉をおおくりしましょう。詩篇55篇22節

あなたの重荷を主にゆだねよ。

人 生には重荷と称するものがたくさんあります。人生は重き荷を背負って、遠い道のりを行くようなものだ。と、昔の偉い人が言ったといいますが、本当にそんな 気がするではありませんか。その思いわずらいの中には、正当なものもたくさんあるわけです。親が子供の為に心配する、これは当然のことです。青年が自分の 将来について悩むことも当たり前の悩みでしょう。考えるとたくさんあります。しかし、そういうたとえ正当な思いわずらいであったとしても、度をすぎると罪 になってしまいます。当然な正しいことで悩んでいても、悩みすぎてノイローゼ状態になってしまってはならないのです。

この思い煩いというものを、イエス様にゆだねなさい、イエス様はあなたを支えてくださるという聖書のお言葉ですが、何故思い煩ってはいけないのでしょうか。思い煩いの質は、つまり、思い上がりがそこにあるという証拠なのです。

だ が、私たちは自分の重荷を自分で負って苦しむ、それは一見立派に見えるけれども、苦しんだって解決できない問題もたくさんあるわけです。たとえば、現代医 学で治らないような病気はいくらでもあるでしょう。そんな病気になって悩んでどうしますか。お金を積んでも、医者が頭をひねっても治らない、その時に人間 が本当にすべきことは、神様を相談相手にもつということです。そして自分の小さな思いあがった知恵は捨てて、神様にその重荷をゆだね救ってくださいという 告白をすることが、信仰している者の特権なのです。

だから、何も思い煩ってはいけないと聖書が言っているのは、問題がなくなって温室のような状態のなかですごせと言っているのではなくて、私たちの思い煩いを神様にゆだねて、相談してみなさいということなのです。

こ ういうふうに親切にイエス様は勧めていらっしゃるのですから、あなたの持っている問題がどんな問題であっても、この日、「そうだ。私もイエス様にゆだねて みよう。自分で考えすぎた。神様に頼ってみよう。今日から聖書を読み、教会に出かけていって信仰を持ってみよう」と思いついてくださるなら、「あなたの重 荷を主にゆだねよ」という神様のお言葉が、あなたのうちに成就したことになります。

人生に重荷はたくさんあります。だがイエス様にゆだねて勝利ある人生を送り、他の人を助けることができるほどになりたいと思います。